大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和52年(オ)405号 判決

上告人

下関市

右代表者市長

泉田芳次

右訴訟代理人

堀家嘉郎

外二名

被上告人

坂井恒雄

被上告人

河野久馬三

右両名訴訟代理人

新井章

外二名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人堀家嘉郎、同長谷川一郎、同甲斐〓の上告理由について

判旨所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認しえないものではなく、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官藤崎萬里、同本山享の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官藤崎萬里、同本山亨の反対意見は、次のとおりである。

われわれは、本件勧奨行為を違法とした原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、理由不備、審理不尽の違法があるものと考える。すなわち、

公務員に対する退職の勧奨は、定年制の定めのない公務員について職員の高齢化による人事の停滞、公務能率の低下、人件費の膨張等を回避するため、一定年齢に達した者について行なわれるものであつて、その目的は合理性を有するから、被勧奨者が退職勧奨を受けるに相当な年齢に達しており、かつ、その選定が公平なものであり、また、説得のための手段・方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱しない限り、任命権者が正当な業務行為としてこれを行いうるものと解すべきことは、異論のないところであろう。

本件において、原審の認定したところによれば、下関市教育委員会(以下「市教委」という。)は人事異動方針の一環として県教育委員会の定める退職勧奨基準年齢に準じ、高年齢者に対する退職勧奨を実施してきたものであり、被上告人坂井恒雄に対しては昭和四〇年度末から、同河野久馬三に対しては昭和四一年度末から勧奨を行つてきたが、被上告人らはいずれもこれに応せず、昭和四四年度末もこれを拒否する態度を明確に示していたのであるから、市教委の立場からすれば、繰り返し説得行為を行うこととしたのも当然であるといわなければならない。しかも、退職後は講師として発令するという条件や、被上告人河野については市教委への配置転換の提示をするなど、条件を附加又は変更して説得にあたつていたのであり、また、被上告人らは本件勧奨行為によつて結局退職しなかつたことでもあるから、勧奨行為が頻繁にわたつたからといつて本件退職勧奨が直ちに退職を強要したものということはできない。原審は教育次長兼学校教育課長八木哲人らの発言内容をも総合し被上告人らに対し退職を強要したと判断しているが、原審の認定した右発言内容なるものは被上告人らないし組合役員との説得、交渉の過程において発せられたものであるから、八木らの発言のみをとり出して評価するのは相当でなく、発言の前後のやりとりや発言がされるに至つた事情をも総合的に考察して判断すべきものである。原判決のあげる宿直廃止、欠員不補充の問題についても、原審の認定によれば本件退職勧奨については被上告人らの属する組合が被上告人らを援助し市教委と対決したことが窺われるのであつて、組合との交渉の経緯いかんによつては、市教委が宿直廃止、欠員不補充の問題と退職勧奨の交渉を関連させてもあながち不当とはいえない。更に、原審は、八木が被上告人らに対し研究物の提出を命じた行為も不当であるとしているが、他方、この提出要求は市議会において下関商業高校の本件退職勧奨問題が提起されるにそなえ行われた旨認定していることでもあるから、結果的にそれが必要でなかつたとしても、右の提出要求が不当であるとはいえない。また、原審が問題にする被上告人河野に対する市教委への配置転換の提案については、原審認定の事実を前提としてみても、同被上告人があくまで退職勧奨を拒否するため、次善の策として行われたとみることも可能であり、これによつて退職勧奨の方法が違法となるとはいえない。

そうすると、原審の認定した事実関係からは、本件退職勧奨における説得のための手段・方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱したとまではいえないから、本件勧奨行為を違法とした原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、理由不備、審理不尽の違法があるものといわなければならず、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、その余の点について判断するまでもなく論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すべきものと考える。

(団藤重光 藤崎萬里 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

上告代理人堀家嘉郎、同長谷川一郎、同甲斐〓の上告理由

原判決は、民法七〇九条、七一〇条及び行政事件訴訟法三〇条の解釈適用を誤り、判例に違反し、且つ理由不備、審理不尽の違法があり、そのいずれもが判決の結果に影響を及ぼすものである。

第一 総論

一 本件事案は、公務員に対する退職勧奨の法的性質、勧奨行為の限界について、はじめて最高裁判所の御判断を仰ぐ事案である。退職勧奨は、定年制の認められない国家公務員、地方公務員を通じて任命権者の人事権行使の一形態として、高令者に自発的退職を求めることにより、人事の新陳代謝を主たる目的とし、財政負担の軽減を従たる目的として、ひろく行われているところである。

本件事案の御庁判決は、国、地方公共団体を通じて将来にわたる退職勧奨が円滑に行われるか否かの成否を決するものであることに鑑みて、特段の慎重な御審理をお願いする次第である。

二 原判決が上告人職員の被上告人らに対する退職勧奨が不法行為に該当する事実は、次のとおりである。

最後に被控訴人らが本件退職勧奨により受けた損害及びその額について検討するに、被控訴人らに対する退職勧奨の回数、その態様、勧奨時の八木らの発言、勧奨に関連してなされたレポート・研究物の要求、宿直廃止問題、被控訴人河野に対する夜間の電話、配転問題などこれまで認定してきたところのすべての事情を総合して考えると、被控訴人らが本件退職勧奨によりその精神的自由を侵害され、また受忍の限度を越えて名誉感情を傷つけられ、さらには家庭生活を乱されるなど相当の精神的苦痛を受けたことは容易に推認しうるところであつて、その精神的苦痛を慰藉すべき金員の額は以上の諸般の事情を考慮すると、被控訴人らの主張の勤労権、平等権、教育権の各侵害につき論ずるまでもなく、被控訴人坂井については金四万円、同河野については金五万円を下らないものと考える(原判決六丁裏から七丁表まで)。

右説示において、不法行為該当事由として挙示するものは傍線を付した部分であつて、その内容を原判決が引用する一審判決にみるに、次のとおりである。

(一) 「退職勧奨の回数とその態様」は、被上告人坂井に対しては一〇回、同河野に対しては一一回であつたこと(一審判決二〇丁裏六行日から一一行目まで)及びその態様は一審判決別紙第一表、第二表の各該当日付欄記載のとおりであつたこと

(二) 「勧奨時の八木らの発言」は、一審判決二一丁表「1二月二六日」から二九丁表「18七月一四日」までに掲記されたもの及び「三 本件退職勧奨の態様と問題点」「6勧奨時の被告らの発言」(同三五丁裏二行目から三七丁表三行目まで)に記載されたものであること

(三) 「レポート・研究物の要求」は、一審判決三一丁表から三二丁裏までにわたる「3レポート等の提出要求」の項に記載のとおりであること

(四) 「宿直廃止問題」とは、一審判決三二丁裏から三四丁表までにわたる「4宿直廃止、欠員補充問題」の項のうちの宿直廃止にかかる部分であること

(五) 控訴人河野に対する「夜間の電話」及び「配転問題」は、被上告人河野のみにかかる事実であつて、その内容は一審判決の右「(3)レポート等の提出要求」の項の記載の一部(三一丁裏から三二丁裏まで)及び「配転問題」(四六丁表から同丁裏まで)であること

三 原判決の認定事実は、裁量権の濫用に該当しないことは明らかである。さらに、論点をかえて論ずるならば、原判決の右に引用した結論部分の判示には、認定事実の評価を誤つていること、及び右評価に対する判断の基準に法律解釈の誤り、判例違反があることの二点において明白な誤りがあり、破棄を免れないものである。

前者、すなわち認定事実に対する原判決の評価の誤りの具体的内容については、後出「第二」において詳述するが、要するに原判決が本件勧奨行為について違法であると認定、挙示するものは、「被控訴人らに対する退職勧奨の回数、その態様、勧奨時の八木らの発言、勧奨に関連してなされたレポート・研究物の要求、宿直廃止問題、被控訴人河野に対する夜間の電話、配転問題」である。しかしながら、原判決の事実認定の中には「宿直廃止問題」は上告人ないしはその職員八木らと被上告人らとの間において直接に話し合つた旨の認定はなされていない。「レポート・研究物の要求」及び「配転問題」は、八木らの発言の内容であるが、これらを「八木らの発言」と同列において、不法行為を構成する別個の事実である旨の認定をしていることは明らかに失当である。しかも、これらの発言について、原判決は後出「第二」において指摘するとおり、右発言の時点においていずれも適法な理由があつたことは、原判決の認定するところであるからこれらの発言を目して独立した違法行為であるとする余地は全然ないのである。

また、被上告人河野に対する「三回の夜間電話」は時刻的に遅きに失したものであるにもせよ、電話の内容は同人を下商から市教育事務局に配置転換をしたい旨を告げて、同人の承諾を促したものであるから、人事権の正当な行使である。同人を退職に追い込むことを目的としてなされたいやがらせではないことは、弁論の全趣旨に徴して、同人がこれを承諾しておれば配転が実現したことは、容易に認定することができるものである。このように考えると、右電話をかけたことが不法行為となるものでないことは明らかである。

右に指摘するとおり、原判決は本件勧奨行為には七の違法な事実があつたと挙示しているのであるが、かかる判断評価が誤つているのである。また、右各事実の評価基準として挙示する後者には判例違反及び法令解釈の誤りがある。この点については、後出「第三」において詳述する。

第二 認定事実に対する原判決の評価の誤り

一 退職勧奨の限界に関する判断の誤り

(一) 原判決のいうとおり、退職勧奨は任命権者側における「退職を求める人事行政上の事情」と被勧奨者側における「健康状態、適応性、家庭の事情、要望等」の「諸般の具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説得方法を用いることができる」(一審判決三九丁裏二行目から六行目まで)のであり、「退職勧奨はその性質上任命権者(使用者)において自由になし得るものであり、反面被用者は、理由のいかんを問わず、勧奨による退職に応じないことができるのであつて、勧奨の回数、期間、勧奨者の数等により形成的にその限界を画することはできない。そして被勧奨者が退職しない旨を明言したとしても、そのことによつて、その後は一切の勧奨行為が許されなくなるとも断じ難い」(一審判決四二丁表末行から同丁裏七行目まで)である。

(二) 地方公務員法二七条の規定により、職員には分限、懲戒等の法定事由によるほかはその意に反して免職されることのない、強い身分保障がある。一方、任命権者としては、職員構成の新陳代謝を図る必要がある。勧奨の限界は、両者の調和に求められなければならない。職員は、一年でも長く在職したいという、共通した希望を有しているため、容易に勧奨に応じない。特に、毎年給与ベースの改定が行われている昨今においては、勧奨に応じて割増退職手当をもらうよりは、在職したときの方が収入は多くなるから、説得は一層困難である。このような心情にある職員を説得して、自発的な退職意思を生ぜしめるためには、ある程度の強い説得を何回も重ねることが必要であることは当然である。この点について、仙台地裁昭和四四年二月二四日判決(労働民集二〇巻一号一五九頁)は、次のとおり判示しているが、まさにそのとおりである。

国鉄経営上、労務管理上の重大事態に思いを到すとき、勧奨がある程度繰り返して行われたからといつて、これを直ちに強要とみることも穏当でない。要は勧奨が強要に亘つてはならないという協定の趣旨に従つて、当事者が理解と愛情を基調とした話合いを進めることが肝要であつて、その過程で該当者が退職の意思はないと言明したからといつて、それ以上勧奨してはならないというものではなく、個人の意思の尊重と国鉄経営上の要請という両者の調和を保ちつつ行われることが望ましいのである(同右一八四頁)。

本件についてみるに、従来から下関市立高等学校においては、山口県立高等学校の場合と同様に男子五七歳、女子五五歳をもつて勧奨の年令としていたこと、昭和四四年度末の退職勧奨の対象者として、被上告人両名(六一歳と六〇歳)のほか五九歳一名、五八歳一名、五七歳二名の合計六名が決定されたこと、被上告人坂井に対しては昭和四〇年度末から、同河野に対しては同四一年度末から毎年勧奨していたが、いずれもこれに応じなかつたものであることは、原判決認定のとおりである。

しかも、被上告人ら両名の昭和四四年度末に行われた退職勧奨に対する態度は、次項に詳述するとおり「死ぬまで退職しない」、「勧奨には絶対応じない」と主張して、上告人当局者と話し合う必要はないという頑な態度に終始していたのである。

(三) これに対して、上告人としては、昭和四一年一月財政再建団体に指定されたこと(更生会社ないしは浪費者たる準禁治産者にも比すべき地位にあつたこと)、被上告人両名の家庭状況と資力からみて、退職後も生活には困らないこと、教育上の見地からみて一六、七歳の高校生の教育には六〇歳を過ぎた教員は不適当であることなど諸般の事情により、被上告人両名が勧奨を受諾することを強く期待するに相当の理由があつた。

この点については、上告人は、原審において昭和五〇年七月一一日付準備書面(二)において、具体的数字及び事実を挙げて詳細な主張をし、且つ昭和五一年七月一日付準備書面(四)において、右主張事実を立証するために同年二月二三日付証拠申請書をもつて申請した証人につき証拠調が必要であることを主張した。これに対し、原審裁判所は、法廷において「被控訴人はその点につき認否の必要はない」旨の訴訟指揮をし、すでに取調を終わつていた証人河田久を除くすべての証人申請を却下した。右各準備書面による上告人の主張に対する認否がなされていないことは、被上告人らの原審におけるすべての準備書面の記載に徴して明らかであるが、それは右の訴訟指揮によるものである。

また、原審における上告人の右主張について、原判決は「事実」において(二丁裏から三丁裏まで)、

(一) 市の財政上の要請

本件退職勧奨が行なわれた昭和四四年度は下関市が財政再建団体として鋭意経費の節減につとめる緊急な必要に迫られていたため、高額所得者である被控訴人らを退職させ、代りに二名の教員を採用することにより人件費の軽減を図る必要があつた。

(二) 教員構成の若返りと校内の気風の刷新の必要

当時市立高校の教職員には六〇歳をこえた者は被控訴人らのみであり、かかる高令な職員が少年期の生徒の教育にあたるのは不適当で、退職勧奨を行うことにより人事刷新の効果をあげようとしたものである。

(三) 被控訴人らの家庭状況と資力

被控訴人らはともに子供は学校を卒業して就職または結婚しており、自宅を所有し、退職金で悠々自適ができる経済状態であつた。

これを要するに当局側には市財政上からの経費節減と教育上からの人事刷新という強い必要性があるのに対し、被控訴人らには家庭の事情、経済状態、ことに年令からみて退職を相当とする客観的条件をそろえていたのである。しかるに一方的に自己の利益のみを強調し、誠意をもつて話合いに応ずる態度が全然みられなかつた。このような場合に控訴人には強い説得が必要であり、許容されるべきことは当然のことといわなければならない。

という、極めて形式的抽象的な事実摘示をするにとどめた上、上告人の主張事実の存否についての判断を一切省略し(前述訴訟指揮からして当然のことではあるが)、「理由」において次のとおり判示している(七丁表)が、この点において、原判決には理由不備、審理不尽の明白な違法がある。

8 (控訴人の当審における主張について)

控訴人主張の市財政上の要請、校内気風の刷新の必要性あるいは被控訴人らの家庭の状況、資力等が控訴人主張のとおりであつたとしても、また当初無条件退職を勧奨していたものを昭和四五年三月二四日頃から講師として発令する旨を加えて勧奨したことを考慮に入れても、なお前記認定の八木らの被控訴人らに対する本件退職勧奨の態様はあまりにも執拗であつて退職勧奨として許容される限度を超えて退職を強要したものというほかはない。

二 退職勧奨の回数に対する評価の誤り

原判決五丁表においては、被上告人坂井に対しては三月一二日から五月二七日までの間に一一回、同河野に対しては三月一二日から七月一四日までの間に一三回の勧奨を認定し、

(1) 前年度までの被上告人らに対する勧奨の回数は二、三回であつたのに対比すると極めて多数であつたこと

(2) その期間がかなり長期間にわたつたことは、あまりにも執拗になされた感は免れないこと

(3) 本件以前には例年年度内(三月三一日)で勧奨は打ち切られていたのに本件の場合は年度をこえて引き続き勧奨が行われたこと

(4) 被上告人らが退職するまで勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べて、被上告人らに際限なく勧奨が続くのではないかとの不安感を与え心理的に圧迫を加えたものであつて許されないものであること(原判決五丁表から同丁裏まで)という判断評価を示している。

しかしながら、右判断評価は理由不備に加えて民法七〇九条、七一〇条及び一条の各規定の解釈適用を誤つたものである。

(一) まず、勧奨の回数については、原判決の引用する一審判決二〇丁裏六行目から一〇行目までにおいて被上告人ら各人に対して挙示するところを合計すると前記期間中、被上告人坂井一〇回、同河野一一回である。

しかるに原判決五丁表においては、

被控訴人らは第一回の勧奨(二月二六日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明しており、特に被控訴人らについてはすでに優遇措置も打切られていたのにかかわらず、八木らは被控訴人坂井に対して三月一二日から五月二七日までの間に一一回、同河野に対しては三月一二日から七月一四日までの間に一三回、それぞれ市教委に出頭を命じ、八木ほか六名の勧奨担当者が(中略)勧奨を繰り返した

として、被上告人坂井に対しては一一回、同河野に対しては一三回であると認定している。

この点において理由不備の違法がある。

しかも、右のうち市教育委員会への配転を申し向けたものは、退職勧奨ではない。あたかも裁判官が裁判所から事務総局、法務省などに移るのと同様、被上告人らは身分を保持したままで職場を変えるのである。原判決は、この配置転換の勧誘までをも退職勧奨であると判断しているのである。さらに、被上告人らの勧奨に対する態度に関する原判決の認定は、三月一二日(八木らの行つた第一回勧奨)には被上告人両名は、「まだ健康で働く意思があること、やめなければならない法的根拠がないこと、経済的に不安があることなどの理由をあげ、退職の意思がない」旨主張し(一審判決二二丁表六行目から九行目まで)、翌一三日には被上告人河野は「下商出身だから死ぬまで勤めると主張して勧奨を拒否した」(同二二丁裏六、七行目)、同月一四日には被上告人坂井は「一二日と同様の理由で退職しないことを表明した」(同二三丁裏一、二行目)、同月一六日には被上告人河野は、右に加えて「外国や他の都市では相当の高令者が勤務している例をあげて、それらの年令が常識となつている旨述べた」(同二四丁表六行目から八行目まで)というのである。

被上告人らは退職後も生活には困らない家庭的経済的環境にありながら、このような自己の利益のみを主張して勧奨に耳を傾けることなく、退職を拒否するという頑な態度をとつていたのに対し、上告人としては前出「一」「(三)」において述べたとおり最高令者である被上告人両名の退職要請の必要に迫られていたのであるから、退職勧奨の限界(回数をも含めての)に関する前出「一」「(一)」に引用した原判決の見解に徴しても、勧奨の回数が例年よりも多かつたことは当然のことであつて、この一事をもつてそれが違法性につながると解することは失当である。

(二) 勧奨の期間が長期にわたつたことは、回数とともに執拗にわたつた感は免れないというのが原判決の評価である。「執拗にわたつた感は免れない」とは、妥当性を欠くことを意味するものであつて、違法であると判断してはいないのである。また、原判決は、勧奨が年度末をこえて行われたことを非難する。なるほど被上告人坂井に対しては校長による二月二六日から五月二七日まで、同河野に対しては校長による二月二六日から七月一四日までとなつているが、原判決認定の事実に則して仔細に検討するならば、実質的な退職勧奨は年度内(三月三一日まで)に打ち切られていることが明らかであつて、原判決の非難は失当である。

(1) 被上告人坂井に対する勧奨は、二月二六日、三月一二日、一四日、一六日、一七日、一八日、一九日、二四日、四月二日、三日、五月二七日の一一回であるが、最後の五月二七日には「心境は変わらないか」、「変わらない」というやりとりがあつただけであつて(第一表同日欄「態様」参照)実質的には四月三日をもつて打ち切られているのであり、しかも四月二、三日の両日は「講師となるよう勧奨。本人はこれを断わつた」(同上同日欄「態様」参照)というのであつて、純然なる退職を勧奨したものではなかつた。

(2) 被上告人河野に対する勧奨は、二月二六日、三月一二日、一三日、一六日、一七日、一八日、一九日、二四日、四月二日、三日、五月二七日、六月九日の一二回であるが、四月二日、三日及び五月二七日については前出同坂井の場合と同様であり、六月九日については「市教委勤務を内示した。本人は同月一一日に電話でこれを断つた」(第二表同日欄「態様」参照)というのであつて、ともに純然たる退職を勧奨したものではなかつた。

(3) 組合は昭和四〇年度以降毎年退職勧奨に反対する運動をつづけていたのであり、そのため市役所では全員が勧奨に応じて退職したのに対して、下商では退職の実現が容易でなかつたのである。「被上告人坂井に対しては昭和四〇年度末から、同河野に対しては昭和四一年度末から毎年勧奨をしてきたが、昭和四三年度末まではいずれもこれに応じなかつたのであること」(一審判決一九丁表四行目から七行目まで)は、原判決認定のとおりである。

さらに、組合は当局に対して財政再建中に欠員補充、宿直廃止などの強い要求をつづけていたのである。

右の次第であるから、当局としては例年の如く、三月三一日に勧奨を打ち切つたのでは翌年度、翌々年度の将来にわたつて、下商の勧奨退職がいつまでも実現しないこととなることは必至であるので、「(ハ)今年は市教委の総力を投入してやる」(一審判決三六丁裏八行目)という方針をとつたのである。年度末に開催された教育委員会の席上、八木は、被上告人両名に対する勧奨の経過と現在まで拒否されたことを報告し、あわせて引きつづき勧奨を継続することを述べて、委員会の了承を得た。四月以降の勧奨は、右の如き委員会の方針に基づいて行われたものであつた。人事担当の学校教育課長の職にある八木が委員会の決定に従つて、右の如き事情のもとで年度をこえて勧奨を行つたことは何ら非難されるべき筋合ではない。

(三) 勧奨の内容について、原判決は「被上告人らが退職するまでは勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べて、被上告人らに際限なく勧奨がつづくのではないかとの不安感を与え心理的に圧迫を加えたものであつて、許されないものであると判示している。

しかしながら、原判決の認定したところでは、訴外八木らが右趣旨の発言をしたのは、三月一三日の被上告人河野に対する勧奨終了後、組合役員が連日の呼出し(実は前日の一二日に次ぐ二回目にすぎない)に抗議したのに対して、役員に対して「いつまででもやりますよ」、「私たちは必要だからやります」と発言したとき(一審判決三八丁表五行目、七行目)の一回のみである。しかも、当日被上告人は訴外八木らに対して「下商に死ぬまで勤めると主張して勧奨を拒否した」(一審判決二七丁裏七行目)のであつた。

従つて、「繰り返し述べて被上告人らに際限なく勧奨がつづくのではないかと不安感を与え必理的に圧迫を加えた」とする原判決の右判示は、証拠ないし認定事実に基づかない判断であつて、理由不備の違法が明白である。

三 勧奨時の八木らの発言に対する評価の誤り

(一) 原判決は、勧奨時の上告人職員八木らの発言を

「(1)被上告人らに対するもの」として、(イ)から(ヌ)までの一〇を、

「(2)組合役員に対するもの」として、(イ)から(ト)までの七を認定している(一審判決三五丁裏から三七丁表まで)。

基本的には、一〇回に及ぶかなりの時間にわたつて行われた話合いのなかの片言切句を前後のやりとりから切りはなしてことごとく列挙する原判決の判示のやり方自体が失当無意味の一語に尽きる。

(1)の発言自体は退職勧奨の場合に通常に使用するものであるか、若しくは前出「一」「(三)」で述べた上告人側の「退職を求める人事行政上の事情」を説明するものであるかのいずれかである。すなわち、「退職金で債券を買えば利子で暮せるでしよう」(一審判決三六丁表(ヘ))という発言をしたことを非難するが、右発言は、原審昭和五〇年七月一一日付控訴人準備書面(二)第一項(三)において主張したところの被上告人らの資産、退職金、年金等により退職後の生活に困らないという事実を指摘したものであつて(乙第八号証七丁表参照)、すべての退職勧奨にあたつて被勧奨者を説得するために例外なく申し向けられる言葉である。また「一人がこたつを占領していたり、お風呂にぬくぬくと入つていたのでは、後の者は入れませんよ」(同(ホ))、「武士は食わねど高揚子といつたプライドはありませんか。ここらで引時を立派にしようではありませんか」(同(ト))、「委任状を取り下げてくださいよ。一対一で話しましよう」(同(ヌ))という発言は、被上告人両名の右(一)に指摘したとおりのあまりにも頑にして、自己本位の態度ないし発言に対して、いわば売り言葉に買い言葉という具合で発言されたものであつて、発言の前後のやりとりと合せて考えるならば、原判決の非難があたらないことは明らかである(乙第八号証参照)。

(二) さらに、右各発言がなされた理由としては、本件退職勧奨に組合が介入したことを看過することができない。

本件退職勧奨には、当初から下関商業高等学校教員組合(以下「組合」という。)が介入し、被上告人両名を支援していた。校長、教頭を除いて、下商に勤務する教員は五二名であつたが、その全員が組合に加入していた。組合は強い団結のもとで極めて活発な組合活動を行つており、例年退職勧奨拒否の態度をとりつづけて来た。

組合は、昭和四四年度においてもいち早く反対運動を展開し、当局に対し、勧奨は違法であると主張してその撤回の申入れをするとともに、被上告人ら被勧奨者から委任を受けたとして、執行委員長川崎滋彦らが勧奨の都度被勧奨者と同行して、立会いを要求し、当局が立会いを拒否したので常に隣室で待機していた。そして当局側の退職勧奨中は終始そのやりとりをききとつており、また、勧奨の前後には、被上告人らを激励し、対策を指示していたのである。

被上告人両名としては、このような組合ないしその幹部の支援のもとで当局と応対していたのであるから、極めて心強い心境であつたことは明白である。むしろ、説得を拒否するたびに精神的苦痛どころか、逆に組合幹部から賞賛、激励される立場にあり、事実またそうであつた。かかる支援のもとで、当該年度の勧奨には最後まで応じないで、被上告人坂井は翌年まで、同河野はその後三年間も下商に在職していたのであつた。

一審判決は、右の組合介入を正面からとり上げて、「2代理および立会問題」(三〇丁表七行目から三一丁表四行目まで)及び「二本件退職勧奨の違法性」(四四丁裏二行目から四六丁表七行目まで)において判断を示している(もつともその判示内容は、「代理人の立会を認めないことは不当である」とする点一身専属権についての委任を認めた点において明白な誤りがある)のに対し、原判決は原審における上告人の主張をとり入れ一審判決の各箇処をいずれも削除している(原判決四丁表一一行目「3」、五丁表一行目)。このことは、原判決が被上告人らに対する組合の指示、支援、激励を認定事実の評価にあたつて除外したことを示すものに他ならない。

(三) 従つて、「(2)組合役員に対するもの」として列挙された発言を摘示することは全く無意味であるが、加えて右発言が組合を通じて被上告人らに伝えられた旨の認定は全然なされていないのであるから、かかる発言内容をもつて八木らを非難し、不法行為を構成する事実であると判断したことは失当の一語に尽きる。

以上要するに、原判決が列挙する八木らの発言に対する認定と評価は、条理に反し、且つ理由不備の違法を免れられないものである。

四 レポート研究物の提出要求

原判決は、八木が被上告人坂井にレポート提出を命じたのは「被上告人らについて市議会で問題が提起されるから、その時の資料とするためであつたこと」と認定しており(一審判決三一丁表八行目から一一行目まで)、同河野に対して研究物の提出を命じたのは「六月三日開催予定の市議会に、河野を市教委に配置換えする案を示し、その説明の資料として使用しようと考えたためであること」と認定しているのである(一審判決三一丁裏九行目から一二行目まで)。事柄の当否は別として、右要求はそれぞれの時点において人事担当者である学校教育課長八木の人事管理上必要であるとの判断に基づいてなされたものであることは、原判決自らが認定しているのである。ところが、原判決は被上告人両名がレポート・研究物を提出するに至らなかつたという結果をとらえて、右八木の要求を違法な勧奨行為の一部であつたと非難し、もつて名誉感情を害し精神的自由を侵害した事由の一として挙げているところである。

原判決のこの点に関する判断と評価はまさに失当の一語に尽きるというべきである。

五 宿直廃止問題

原判決は、本件勧奨行為が不法行為を構成する要因の一として宿直廃止問題を挙げている(原判決六丁裏五行目)。その具体的内容は、一審判決「4宿直廃止、欠員補充問題」(同判決三二丁裏から三四丁表まで)のうちの宿直廃止にかかる部分であつて、定員補充にかかる部分は不法行為構成要因と認定していないことは、原判決の文理上明白である。

一方、原判決の認定した八木らの被上告人らに対する勧奨の発言は一審判決理由「二本件退職勧奨の経過」(同判決二〇丁裏から二九丁表三行目まで)及び「三本件退職勧奨の態様と問題点」「6勧奨時の被告らの発言」(同判決三五丁裏二行目から三七丁表三行目まで)において挙示されているが、その中には被上告人らに対して八木らが宿直廃止問題に関し、原判決挙示の如き発言をしたことは全く記載されていない。

原判決は、右項目についてもまた自らの認定しない事実をもつて、本件勧奨行為の不法行為性の一要因としているのであつて、理由不備もはなはだしいものというべきである。

六 被上告人河野に対する夜間の電話

原判決が勧奨行為の不法行為性の要因の一として指摘する右事実の具体的内容は、八木が研究物の提出を求めるため三回にわたつて電話をかけ、一、二回目は同被上告人が、三回目にはその妻河野貞世が応答した事実(一審判決三一丁裏三行目から五行目まで)をいうものである。

右研究物の提出要求が不法行為を構成するものでないことは、すでに前出「四」において指摘したとおりである。

次に、原判決は、「被上告人河野は再三このような電話がかかるため不眠がちとなつた」(一審判決三二丁表一一行)、「同被上告人の妻は心臓病の持病があつたが、八木からの電話を聞いて精神的打撃を受け、その後は電話に対してノイローゼ気味となり、夜も安眠できない状態に陥つたことが認められる」(一審判決三二丁裏六行目から九行目まで)と判示している。これが原判決のいう「家庭生活の乱された」ことの具体的内容である。同二一丁裏二行目から八行目までにかけて挙示する証拠のうち、右認定が「原告河野の本人尋問の結果」によつてなされたことは明らかである。証拠の採否と事実認定は、原審裁判所の専権ではあるとはいえ、以下述べるとおり原判決は採証を誤り、事実を誤認していることは明らかである。

被上告人河野は、昭和四一年度末から毎年数回にわたる退職勧奨を受け、その都度拒否したこと、退職の件は組合に委任したから組合と話してくれと言明していたこと、組合の支援と激励を受けて頑強に拒否の意思を固めていたことはすでに前述したとおりである。果してしからば、同上告人が三回の、しかも退職勧奨ではなくて、単に報告物提出を求める電話によつて不眠症に陥るはずはない。また、昭和四〇年度以降毎年勧奨を受けていたのであるから、同人妻も夫から右の各事実をあらかじめ知らされていた筋合であるから、三回目の電話(一審判決第二表一九による被上告人主張によつても電話の時間は僅かに八分間であり、原判決は時間の認定を欠いている)によつてノイローゼ気味になり、夜も安眠できない状態に陥つたとする原判決の前示認定はいかにも不自然である。

当事者本人が法廷における尋問に対して、事実と相違又は歪曲した発言ないし誇張した供述をすることは、裁判所に明らかな事実であるが、公安事件、労働事件等においてはその傾向は一段と顕著である。原判決の右事実認定は、原審裁判所がこの点についての配慮を欠き、採証を誤つたことによるものと思料されるが、そのことはしばらく措くとしても、八木の右電話(による発言)に際して、被上告人河野とその妻に対して、かかる結果の発生を企図したものでないことはもちろん予測すらしなかつたものであることは、原判決の認定事実及び弁論の全趣旨によつて明らかであるから、八木の右発言には故意、過失はなく、また認定にかかる両名の右損害との間には相当因果関係を欠くことは明らかである。

よつて、八木の夜間電話が不法行為を構成する違法行為であるとする原判決の判断評価は、民法七〇九条の解釈を誤つたものであるというべきである。

七 配転問題

(一) 市教委は、六月九日被上告人河野に対して、市教委事務局への配置転換を提示した(研究物準備については五月七日)が、同人はこれを拒絶しその後公平委員会や地裁への提訴がなされたので当局は円満を期する為その実現を見合せたのである。

右配転は、同人の退職勧奨の拒否の態度が強く、説得が不可能であると判断して、次善の案としてとりあげられたものであつた。すなわち、生徒に対する教育効果の見地から、下商の教育現場から高令職員を排除することが本件退職勧奨の主要な目的の一であつたが、本人が退職に応じないとなると、市教委事務局に配置転換し、代わりに若い教員を配置することによりその目的を達することができる。

市教委は、このような観点から市財政当局と折衝し、事務局職員として高令教員のうち一人を配置することの承諾をえた。そこで、被勧奨者である訴外田辺政子に対して、四月一三日ごろその旨を内示したところ、たまたま同人は一二月三一日限り退職する意思をもつており、それまで下商に勤務したい旨の希望を表明した。そこで、学校教育課長八木は松原教育長と相談の上、同人に代わつて、被上告人河野を市教委事務局に配置転換させることにし、六月九日これを同河野に提示したのである。

事実は右のとおりであつて、配置転換が退職を肯んじない被上告人河野に対する次善の対策であつた。もちろん、配置転換後においても同人は退職を拒否する自由を有していること、身分給与勤務時間には何らの変更もないこと等の事実を総合して考えるならば、従前の態度に徴し、配置転換が直ちに同人をして退職の意思を生ぜしめることを目的として行われたものではなかつたことは明白である。

(一) 原判決は、この点について次のとおり判示している(一審判決四六丁表八行目から同丁裏八行目まで)

また原告河野の市教委への配転についても、先に訴外田辺政子に対し勧奨が奏効しない段階で市教委勤務を内示したところ、同女がこれを嫌い結局退職を約束したという前例があること。同原告に配転を示唆した時期が不自然であるうえに、五月二九日の電話の時と六月九日に市教委で説明した時とでは勤務内容も相異していること、配転が実現した場合には直接の上司となる河田指導室長が当時右配転計画を知らなかつたこと、同原告に対しては、右のように配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けたこと、および下商校長の反対もあり配転は実現に至らなかつたことなどの事情を総合すると、この配転は市教委にとつて必要性はなく、もつぱら退職を実現するための手段として提起されるものであるとの疑いを拭い去ることができない。

右判示には、次に指摘するとおり、六の事実誤認ないし判断の誤りがある。

その一は、被上告人河野の市教委の配転は、なるほど市教委事務局としては積局的に必要がなかつたことはもちろんであるが、市教委傘下にある下商の人事刷新を必要としている事情をあわせ考えるならば、前述したとおり市教委としては消極的必要に迫られたものであり、現に被上告人河野が承諾していたら実現したものであつた。

その二は、原判決は配転を示唆した時期が不自然であることを指摘しているが、それは前述のとおり訴外田辺が最初の候補者として考えられたところ、同人が一二月三一日付で退職するまで下商にいたい旨希望したので、市教委はその希望を容れ、被上告人河野が代わつて候補者となつたことによるものである。それをことさらにとりあげて、あたかも配転の提示が退職強要の手段であつて計画は事実無根のものであつたとする原判決の判断は失当である。

その三は、河田指導室長がこのことを知らなかつたことは当然である。何となれば、次善の対策としての市教委事務局への配転案は、松原教育長と八木学校教育課長の間で作成され、市財政課の了承を得た上で訴外田辺及び被上告人河野に打診したものであつたが前述した夫々の理由により具体化するに至らなかつたのであることによる。指導室長が知らなかつたことは当然のことであつて、これをもつて右提示が被上告人河野に退職を強要するための手段に過ぎなかつたとする原判決の判断は人事行政の実態を知らない者の言である。

その四は、五月二九日と六月九日の市教委説明が相違していると認定されているが、そのようなことはない。一審判決第二表一八、二〇の各「態様」欄に記載されているとおり、五月二九日には「市教委勤務を暗示した」というのであり、六月九日には「市教委勤務を内示した」というのであつて、その内容に相違はない。

その五は、下商校長の反対もあり配転は実現しなかつたと認定されているが、訴外田辺の配転に対しては校長は反対したが、被上告人河野に対しては消極的ではあつたが賛成であつたのである。

その六は、配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けたことはない。五月二九日には配転を暗示した上、配転の計画を説明したのは六月九日である。いずれにしても、右両日には退職勧奨はしていないのである。

(三) 市教委への配置転換の内示は、退職勧奨ではない。身分、給与等はそのままで勤務場所が変わるにとどまるものである。適切な例ではないが、裁判官が裁判所から事務局勤務に移るのと軌を一にする人事異動に過ぎないのである。

原判決は、この点についての根本的な誤解があつて、恰も市教委への配置転換の内示は退職に追い込む手段若しくは退職勧奨の一形態であると解しており、右誤解に基づいてこれを不法行為の一要因として挙示しているのである。

第三 不法行為に関する法令及び判例違反

一 原判決は退職勧奨行為が適法な範囲をこえて不法行為を構成するに至る限界について、次の見解を示している(一審判決三九丁裏二行目から一〇行目まで)。

勧奨は一定の方法に従つて行なわれる必要はなく、退職を求める人事行政上の事情や、被勧奨者の健康状態、勤務状態、勤務に対する適応性、家庭の事情その他被勧奨者の要望等具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説得方法を用いることができるが、いずれにしても、被勧奨者の任意の意思形成を妨げ、あるいは名誉感情を害するごとき言動が許されないことは言うまでもなく、そのような勧奨行為は違法な権利侵害として不法行為を構成する場合があることは当然である。

すなわち、原判決は、右の基準に照らして、前出「第一」「二」の各事実は不法行為に該当するものであると結論し、上告人に損害賠償を命じたのである。

しかしながら、前出「第一」「二」の冒頭に引用した判示及び右判示は、次に指摘するとおり、明らかに判例に違反し、且つ民法七一〇条の解釈を誤つている。

二 名誉感情(又は名誉意識)が、社会的名誉とともに、不法行為法の保護法益である民法七一〇条又は七二三条にいう名誉に含まれるか否かについては、判例及び学説は、いずれも、これを否定的に解し、民法の右各規定にいう名誉とは社会的名誉のみを指すものであつて、名誉感情はこれに含まれないとの見解に立つている。すなわち、大審院は、つとに、明治三八年一二月八日判決(民録一一輯一六六五頁)において、「名誉トハ各人カ社会ニ於テ有スル位置即チ品格名声信用等ヲ指スモノニシテ畢竟各人カ其性質行状信用等ニ付キ世人ヨリ相当ニ受クヘキ評価ヲ標準トスルモノニ外ナラス」と判示し、また、明治三九年二月一九日判決(民録一二輯二二六頁)において、「名誉トハ各人カ其品性徳行名声信用等ニ付キ世人ヨリ相当ニ受クヘキ声価ヲ云フモノナリ」と判示して、不法行為法にいう名誉とは社会的名誉を指すものであることを明らかにしていたし、さらに、最高裁も、昭和三一年七月二〇日第二小法廷判決(民集一〇巻八号一〇五九頁)において、「名誉を毀損するとは人の社会的評価を傷つけることに外ならない。」と判示し、また、昭和四一年七月二八日第一小法廷判決(裁判集(民)八四号一八七頁)において、「特定人の名誉が毀損されたか否かは、被害者の主観によるべきではなく、客観的にその人の社会より受ける証価が傷つけられたかどうかによつて決すべきである(旨の原審のたてた命題は正当である)。」と判示して、大審院と同様の見解に立つことを明らかにしている。

他方、学説も、不法行為にいう名誉の意義に関する判例の見解を支持し、そして、その理由としては、名誉感情の社会生活上における重要性は、社会的名誉のそれほど高くなく、したがつて、名誉感情を侵害するにとどまる行為は、社会的名誉を侵害する行為に比して、違法性が低いこと(注一)、名誉感情には個人差があり、有能で人格の高い人であつても謙虚な人は名誉感情が薄く、逆に能力がなく精神的に欠陥のあるような人であつても極端に誇張した名誉感情をもつている場合があるから、名誉感情は普通人に対する規範としての法の保護に適しないものであること(注二)、各誉感情を保護すると、これを有しない幼児や心神喪失者に対しては法の保護を与えることができないという不合理な結果が生じること(注三)、民法七二三条所定の原状回復処分をもつて回復するに適するのは、社会的各誉が毀損された場合であること(注四)、名誉感情のみの侵害はその証明が困難であること(注五)、さらに、名誉という概念は、通俗的には、社会的名誉のみを意味するものであること(注六)などを挙げている。

(注一) 小野清一郎・名誉と法律七二頁、宗宮信次・増補名誉権論二五〇頁、五十嵐清・注釈民法(19)一八六頁、五十嵐清・田宮裕・名誉とプライバシー一五頁等。

(注二) 木村亀二・法律時報三三巻五号六頁、三島宗彦・人格権の保護二五三頁。

(注三) 宗宮信次・増補名誉権論二五〇頁、木村亀二・法律時報三三巻五号六頁等。

(注四) 宗宮信次・増補名誉権論二四九頁。

(注五) 宗宮信次・増補名誉権論二五二頁。

(注六) 宗宮信次・増補名誉権論二五〇頁。

注 (以上は最高裁判所判例解説民事編昭和四五年度(下巻八五八頁〜八五九頁)

右の次第で、原判決が退職勧奨が不法行為を構成する場合の要件として、「名誉感情を害する言動」を挙げ、本件退職勧奨行為が被上告人らの名誉感情を傷つけたことをもつて不法行為に該当するとした結論部分の判示(原判決六丁裏八行目)が民法七一〇条の解釈を誤り、且つ右各判例に違背していることは明らかである。

三 原判決は、右引用部分において退職勧奨行為が被勧奨者の「任意の意思形成を妨げる」場合には、名誉感情を害することと相まつて不法行為を構成するとし、結論として本件勧奨行為が不法行為である理由の一として「被控訴人らがその精神的自由を侵害された」(原判決六丁裏八行目)と認定している。すなわち、原判決は、「任意の意思形成を妨げること」と「精神的自由を侵害されること」とが同一であるという認識理解に立つているのである。

民法七一〇条の「自由」は、肉体的なものと精神的なものを含むことはもちろんであるが、精神的自由の侵害とは、詐欺又は強迫によつて意思決定の自由を奪つたり(大審院昭和八年六月八日判決・法律新聞三五七三―七)、いわゆる村八分による共同絶交(大審院大正一〇年六月二八日・大審院民事判決録一二六〇頁)の如く、犯罪行為又は公序良俗違反行為による自由な意思決定阻害がなされる場合にはじめてこれを該当するものであつて、単に不穏当な言辞を用いて相手方の意思決定を促す程度のものは、いまだ精神的自由の侵害とはならないのである。

これを本件についてみるに、被上告人両名は、本件退職勧奨を拒否して、被上告人坂井は昭和四六年四月一日、同河野はさらに二年後の同四八年四月一日まで在職したこと、本件退職勧奨に対して一貫して退職の意思はないと言明して、最後まで勧奨を拒否したこと、配置転換の話合いのため出頭を求める職務命令に応じなかつたことすらあること(一審判決二九丁表一行目から三行目まで)、前出「第二」「三」「(二)」において指摘したとおり、組合の強力な支援激励を受けていたこと等の事実を考えるならば、本件退職勧奨行為が被上告人らの自由な意思形成を妨げるものでなかつたことは明々白々である。

しかるに、原判決は、右の事実関係のもとにおいて被上告人らの心理状態が「任意の意思形成を妨げられ」ないしは「精神的自由を侵害された」ものであつたと判断しているのであつて、民法七一〇条の解釈適用を誤り、判例に違背し、且つ理由不備の違法がある。

四 右二、三において指摘したとおり、原判決(一審判決が示した退職勧奨行為の不法行為性の基準自体が民法七一〇条の誤つた解釈及び判例に違背する独自の見解に基づくものであるが、第二で指摘したとおり、判断評価を誤つた認定事実に対して右基準を適用し、もつて本件退職勧奨行為が不法行為であると結論しているのである。

第四 本件勧奨行為の適法性

一 退職勧奨の法的性質について、原判決は、「任命権者がその人事権に基づき、自発的な退職意思を形成するためになす説得等の行為である。」(原判決四丁裏二行目から五行目まで)と判示し、その引用する一審判決は、「個々の優遇措置の充実と相まつて、定年制による画一的な運用による欠点を排し、その必要性を満たす有効な手段たりうるものと考えられる。」(三八丁裏七行目以下)ものであるとし、勧奨の方法は、「一定の方式に従つて行われる必要はなく、退職を求める人事行政上の事情や、被勧奨者の健康状態、勤務に対する適応性、家庭の事情その他被勧奨者の要望等具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説得方法を用いることができる。」(同三九丁裏)と判示している。

右判示のいうとおり、退職勧奨は、特別権力関係内部において、任命権者が職員に対して人事権行使の一形態として行うものであつて、広義の行政行為に属し、その方法は、任命権者の自由裁量に委ねられているのである。

二 自由裁量行為たる行政行為が違法となるのは、裁量権の濫用があるときに限られる(行政事件訴訟法三〇条の類推)。何となれば、抗告訴訟は、違法な行政処分によつて国民の権利が侵害され、若しくは義務が強制される場合に、その救済のために当該行政処分の取消しを判決するものであり、同条は、その要件を掲げたものであるから、自由裁量処分の違法とは行政庁の裁量権が濫用された場合に限られることは言をまたないところである。広義の行政行為の違法についても、また同様に解すべきであることは一点疑問の余地はない。

従つて、本件勧奨行為が違法である(従つて、不法行為に該当する)か否かの判断は、上告人に裁量権の濫用があつたか否かによつて決定されるものであるが、原判決は、この点について何らの配慮を払うことなく、妥当性を欠くことをもつて直ちに違法であると即断しているのであつて、明白な誤りがある。

(一) 元来「権利の濫用」については、裁判所は極めて厳格な態度をとつている。通常の民事商事の訴訟において、権利濫用の主張が認められることは極めて例外といつてよい。戦前において、権利濫用の法理は、主として土地の使用関係について、判例法により構成されたが、具体的な事案について認められたことは、極めて稀であつた。戦後、民法一条三項により「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という明文の規定が設けられて以来、権利濫用の法理は債権法をはじめとして会社法、労働法などの法領域に拡張適用される傾向が目立ちはじめた。借地借家関係で賃貸借契約の解除権の行使について、下級審判決のなかに権利濫用の法理を適用するものが多く見られるようになつたが、それでもなお最高裁判所判例は、無断転貸を理由とする解除権の行使について、「もし権利の行使が社会生活上到底認容し得ないような不当な結果を惹起するとか、或いは他人に損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるに至ればここにはじめてこれを権利の濫用として禁止するのである」(昭和三一年一二月二日判決(最高裁判所判例集十巻一二号一五八四頁五行目以下))と判示して安易な権利濫用法理の適用をいましめているのである。

要するに、権利濫用の法理が認められたケースをみると、常識からみてあまりにもひど過ぎると思われる態様の権利行使をしたものに限られているのであつて、まだまだ権利濫用の法理は容易には承認されない。

(二) 行政訴訟には、民事訴訟法の一般的な適用があり、行政事件訴訟法は同法の特別法である。裁量権の濫用を規定した行政事件訴訟法三〇条は、民法一条三項の特別規定ともいうべき関係にあるから、右に指摘した民事裁判における権利濫用の法理が行政訴訟における裁量権の濫用についてもまた適用されるべき筋合であることは言をまたない。

しかも、私権は私法の条項によつてその概念が規定されている固定的、限定的権利である。ところが裁量権とは、行政の本質であるところの合目的行政行為実現のため、行政権に与えられた判断作用であつて、その内容は弾力的、包括的であり、その範囲は、私権に比して格段に広いものである。されば、裁量権の濫用とは、行政権の判断作用に著しい逸脱があるため、そのまま放置することが正義に反することを意味するものである。すなわち、右判例のいうとおり「公序良俗に反し、道義上許すべからざるものと認められるに至つた」程度の処分を指すものであつて、裁量権行使に多少の逸脱なり不適切があつたとしても、それをもつて濫用ということはできないのである。

徴戒処分に関する任命権者の裁量権について、最高裁判所判例は、懲戒権の行使それ自体がその目的に由来する内在的制約を伴う自由裁量的行為であることを前提としながら、「懲戒権者が懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基づかない場合又は社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超える場合を除いては、その裁量に任される」と判示しているが、とりもなおさず前示判決の説く私権の濫用と同様に厳密な判断をなすべきことを示しているのである(最高裁昭和三二年五月一〇日判決(最高裁判所判例集一一巻五号六九九頁))。

(三) 前出「第二」において詳述した本件勧奨行為に伴う七の事実は、いずれも「社会生活上到底認容し得ないような不当な結果を惹起するとか、或いは被上告人らの損害を加える目的のみでなされる等公序良俗に反し、道義上許すべからざるものと認められるに至る」ものとして違法であると解する余地がないことは、原判決の認定、判示自体に徴しても、また条理に照らしても明らかである。

三 要するに、右に指摘したとおり、退職勧奨の法的性質及び方法について、行政行為の観点から論ずるならば、本件勧奨行為は、不法行為に該当しないのである。されば百歩を譲つて前出「第三」の主張が認められないとしても、この点において、原判決は、民法一条及び行政事件訴訟法三〇条の解釈適用を誤り、判例に違背する明白な違法があり、破棄を免れないものと信ずる。

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